社会動向やライススタイルの変化から健康意識が高まりを見せている昨今、〝養生法〟や〝東洋医学〟といったフレーズに注目が集まっている。成鍼堂治療院・宮下宗三先生はSNSを通して養生の情報発信をする中で、セルフケア意識の浸透を幅広い世代から感じているという。「うちの治療院に訪れる患者さんは、働き盛りの30代〜50代の女性が中心です。不定愁訴を訴えられる方が多く、定期的に治療を受けながら、セルフケアにも強い関心を持たれている印象を受けます」。宮下先生が推奨されている養生の原点とは? SNSで情報発信する意義と、そこから見えてきた鍼灸の新たな可能性について語っていただきました。

セルフケアの第一歩は平易な言葉から

『養生』というフレーズに、少しだけ言葉の難しさを感じてしまいがちです。

私は養生を、読んで字の如く〝生(命)を養う〟という意味で捉えています。あえて区別すると、治療院の鍼・灸が治療ならば、患者さんが自己管理的に行うことが養生でしょうか。予防的なセルフケアのニュアンスが強いですね。小難しく考えていただく必要はまったくないと思いますよ。最近は長引くコロナの影響もあり、性別・年齢を問わず「免疫力を上げたい」と話される患者さんが多くいらっしゃいます。

患者さんには、養生法をどのように伝えていますか?

一見、難解な伝統医学をキャッチーなイラストと分かりやすい説明で紹介。患者さんが気軽に続けられることが前提だまず、お灸のセルフケアには台座灸を勧めています。患者さんの症状に適したツボを伝えて、具体的な据え方をお教えしています。ツボを説明する際は解剖学用語を使わないように心掛けているんです。例えば、手三里を取るときは「肘を曲げてできるシワの端っこから、指2、3本くらい下がった辺りを押して、ちょっと痛いところ」みたいな感じです。患者さんが嫌がらなければ印を付けたり、LINE予約を頂いている患者さんにはツボの位置画像をお送りしています。

それに加えて、中国の伝統医学で『導引法』と呼ばれる、運動療法を推奨しているんです。現在の体操や気功法と捉えていただいて構いません。例えば心臓関係の導引法でしたら、手を真っ直ぐに伸ばした状態からゆっくりと円を描くように回すことで、肩甲骨の裏側が刺激されます。心兪と呼ばれるツボを解してあげることで、心臓の働きの改善を促します。左右12回、気軽なストレッチの感覚で取り入れていただけたらと思います。

初診の患者さんには、治療後に台座灸をお渡ししていると聞きました。

柔50壮が入った成鍼堂治療院「謹製」のお灸袋。シンプルながら、鍼灸に親しみを感じさせるパッケージにセンスが光る大和漢さんの『柔—やわら—(マイルド)』が入ったオリジナルのお灸袋をお渡ししています。物販を行っていないのは、患者さんご自身でお灸を調達できる方が望ましいと考えているからです。『柔』はネット通販でも比較的安価に購入できますし、温度帯が豊富でサイズも丁度いいので、セルフケアにはオススメです。患者さんからは「自分で据えて、こんなに楽になるとは思いませんでした」との、お声をいただいています。

プロの仕事とは難しい症状を改善させること

セルフケアの推奨が治療院から患者さんを遠ざけてしまうと感じられる方もいらっしゃるように思います。しかし、宮下先生は患者さん一人ひとりと長いお付き合いを前提に治療をされていると聞きました。このような考えに至ったのは理由があるのでしょうか?

私が学生時代に出会い、鍼灸の師と仰いでいる方が、今は亡き村田渓子先生(はりきゅう三方堂前院長)です。むかし村田先生が話された「家のお灸ではとれない難しい症状を治すのがプロの仕事。家のお灸で患者さんが治療院に来なくなってしまうのなら、その時点で失格です」という言葉は、当時鍼灸師になりたての私には晴天の霹靂でした。〝患者さんの視点に立った、患者さんのための治療〟であることの大切さを、村田先生から学んだのです。

患者さんに通っていただくからには、治療院でしか実感できない治療を?

そうですね。ご自宅でセルフケアのお灸をされていても、私がプロの治療を提供できていれば、何かあった時に一番初めに思い出してもらえる。患者さんが困った時に家の近くにある治療院よりも、遠く離れた私の治療院に来てくれるのではないでしょうか。治療院の経営は貰う方ばかりを考えているとあまり上手くいきませんし、アイデアも陳腐なものになってしまいがちです。村田先生の教えの通り〝与える治療〟が中心にくるように心掛けています。

患者さんに何を与えられるのか考えながら治療をすることで、最終的には自分にしかできないことが見えてくる。そこで経営的な差別化も図れると考えています。例えば、鍼灸治療の初心者の方にも興味を持っていただけるような、自己流のイラストを治療院のHPに掲載したり、医学古典を現代風にアレンジしてSNS発信してみたり……。

古典から養生のヒントを見出すようになったのはきっかけがあるのですか?

「プロの施術とは何か」——鍼灸の師・村田渓子先生との出会いが、宮下先生の治療家としての生き方を決定づけた医学古典を読むようになったのは、鍼灸学生の頃、先述した故・村田先生が主催していた勉強会に参加したことがきっかけです。病気の治療手段が鍼灸と漢方しかなかった時代は、それだけであらゆる病に対処しなければいけなかったわけですから、古典にある医学理論や方法は、現代にも通ずる可能性を秘めていると感じたのです。温故知新ではないですけど、当時の文献をそのまま廃れさせてしまうのはもったいない、と。そこで、SNSで昔の養生術を紹介し始めたわけです。

勉強会は村田先生の治療院で行われていましたが、古典解読の難しさから、初めにいた10人の参加者は徐々に脱落していき、最後に残ったのは先生含めて3人くらい(笑)。最後まで残った私は、同じ勉強仲間として対等な関係で扱っていただけるようになりました。今から25年前のことですから、当時の村田先生は50代でした。非常に残念なことに村田先生は今年5月に逝去されましたが、業界で有名になられても決して偉ぶらず、職人(治療家)として研鑽を深め続ける姿勢は、私の治療家人生に大きな影響を与えたと言っても過言ではありません。

村田先生の「家のお灸で取れない難しい症状を治すのがプロの仕事」という言葉に、治療家としての信念や想いが集約されているわけですね。

その通りです。頭が痛い、腰が痛いと訴える患者さんがいたら、患者さんは患部や特効穴だけに注目します。プロはそれだけではなく、全身を整える治療法を考えてみる。セルフケアで治せなかった症状に、東洋医学の知識を使ってアプローチするのが、プロの仕事——なのだと私は思います。

気長な関係性が鍼灸と養生の裾野を広げるカギに

SNSの情報発信で工夫されている点、留意されている点を教えてください。

デザイン性は大事ですよね。SNS発信する時はイラストを多めに文章を減らして、簡潔に伝わる内容を心掛けています。記事は必ず文献の裏取をしていますが、古典の文章をそのまま引用すると小難しくなってしまうので、簡単な言葉に翻訳してできる限り最小限に止めています。Twitterのアイコンのキャラクターは、もともと導引法のやり方を説明するための絵を描いていた時に、そのままだと面白みがないので、被り物をさせたら面白いかなと。それをネットにアップしたらSNSでかなり拡散されて、このキャラクターがきっかけで書籍化までされた経緯から、現在も使い続けている感じですね。

宮下先生が考える東洋医学の強みや良さはなんでしょう?

落ち着きのあるインテリアが院内を彩る。可愛らしいオーナメントにも宮下先生の柔和な人柄が——西洋医学の治療は副作用の代償や、長く薬を飲み続けなくてはいけない等の状況が発生しがちです。東洋医学も治療が長引くこともありますが、症状によっては治療してから、それほど経たずに服薬をせずとも良い状態に回復したり、治療自体が体に優しいことが挙げられると思います。

とりわけ、不定愁訴の症状には鍼灸がより効果的だと感じています。頭痛や目眩、不眠症の症状が続いているにもかかわらず、器質的な異常が見られない(=病の実態が存在しない)ケースに対して、東洋医学は強みと手段を持っているのです。当然ですが、鍼灸が全ての症状を治療できるわけではありません。患者さんの治る範囲内で確実に改善させられる部分を治療していきます。

最後に、養生や鍼灸のセルフケアがどのように広がっていくことが望ましいか。宮下先生が考える理想像を教えてください。

患者さんが困っている時に、治療家に気軽に相談できるような関係性が、鍼灸をより広めて行くための一つの布石になるのではないでしょうか。そのためには、日々の小さな信頼関係の積み重ねが大事です。症状の相談や養生法を通じて、生涯の健康とお付き合いをさせていただく。それぞれの地域で、それぞれの鍼灸師が患者さんと良好な関係を築いていけたら、鍼灸はもっと身近な存在になると、私は信じています。