お灸の商品開発の秘話やこだわりについて、ハリトヒト。メンバーがお灸メーカーにインタビューする「キュウトヒト。」の第一弾です。
『釜屋もぐさ』は1659年創業。江戸時代から続く老舗のお灸メーカーです。昨年4月に12代目富士治左衛門を襲名した富士武史社長に、釜屋もぐさの歴史とお灸へのこだわりを伺いました。


【釜屋の切艾は参勤交代のお土産品】

お灸のメーカーなのにお釜のマークがついているのが不思議だと思っていました。由来を教えてください。


釜屋の初代は滋賀の辻村から江戸に出てきて、廻船問屋を営んでいました。浅草寺の釣り鐘やお釜を作って納めていた家の出身だそうです。うちの屋号も、店の前に大釜が置かれていたことからきていると言われています。
釜屋がもぐさをメインに作るようになったのは、1700年頃からです。滋賀県がヨモギの名産地だったこともあり、3代目が「切艾」を販売したところ、爆発的に売れたんですよ。
参勤交代で江戸に来た御一行が、お土産として持ち帰ったことがきっかけだと言われています。旅道具を入れた箱の隙間に切艾を詰め込んでおくと、歩き疲れたときに使えて、ちょうど良かったようです。

切艾が人気商品になったのはなぜでしょう?


昔ですと外で働く人が多いでしょうから、手もガザガザで上手によれなかったと思うんです。切艾は最初から米粒大になっているので、扱いやすかったのでしょう。
そのように、用途に合わせて使いやすく、なおかつ効果を損なわないことを主軸にした商品開発を江戸時代から行ってまいりました。
ちなみに江戸時代といえば、松尾芭蕉が「奥の細道」で、「もも引の破をつづり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより…」と、詠んだときに据えたお灸も、釜屋のものだったのではないか、と言われています。6代目が芭蕉さんの50回忌に関わったという話が、過去帳に残っております。

【日本で初めて間接灸を商品化したのは釜屋】

大ヒット商品の切艾を開発したあと、どんな製品を販売したんですか?

今から約50年前の昭和44年にカマヤミニの販売を始めました。
その前段階として、明治の頃から温灸器を作って販売していました。今は薬機法の関係で作らなくなりましたが、当時は宮家に納品していたような商品だったと言われています。
その頃から徐々に、お灸によるやけどを忌避する風潮が高まっていたのでしょう。水疱にならずに施灸ができるものが求められるようになってきていました。
それで、カマヤミニの販売を始めたのですが、当時は直接灸がメインだったので、「間接灸では効果が出ないのではないか」と言われて、すごく批判もされたそうです。

「やけどをしないお灸」のニーズに応えた形ですね。

とはいえ、皮膚の状態によってはやけどをすることもある商品ですよ、とお客さまには説明しています。

カマヤミニスモークレスは、その後に開発されたものですか?

はい、そうです。平成に入ってから、お灸の消費がだんだんと減ってきたんですね。その理由として鍼灸師の方から、「往診先やテナントでは、煙を出せなくてお灸が使えない」という声を聴くようになりました。「それなら炭化させてみよう」ということで、うちが初めて炭化もぐさを開発しました。それが、カマヤミニスモークレスと温暖です。
こちらは、火のつきやすさと、においが少ないことを主眼にして作りました。今でも他社さんには負けないという自信をもっております。

「やけどをしない」「けむりがでない」「においが少ない」というのは、基本的なお灸の要素を否定する、むちゃな注文のようにも思えます。釜屋もぐさは、老舗でありながら、つねに時代のニーズに合わせた商品を開発することで、業界をリードしてきたんですね。

そう言ってもらえると、とてもうれしいです。

ところで、カマヤミニの接着面は昔から糊を使っていますよね。何かこだわりがあるのでしょうか。


お灸の途中で熱くなって外したくなるとき、粘着力が強すぎるとすぐに外せないことが想定されます。それで糊を使って「外れないけど、外しやすい」という粘着度合いにしています。熱くなったら、ピンセットでつまむか、皮膚に近い方を持って外してください。
うちの商品はできる限り身体に害のないもので作っております。口に含んでも安全なもので作られていますので、食べてしまっても大丈夫です(笑)。

釜屋さんの商品は、やさしさでできているんですね。

(編集:ハリトヒト。)

『【キュウトヒト。】釜屋もぐさ本舗・十二代目富士治左衛門━━、老舗の歴史と伝統と挑戦。(後編)』はこちら→